SNS等の誹謗中傷、アンチマーケティングをする人は結局こうなる

幸せになる為に

僕はSNS等の誹謗中傷、アンチマーケティングについてなぜ大きく国は動かないのか?

韓国ではSNS等の誹謗中傷で本人が自殺した場合はパソコンで誹謗中傷を打つので「指殺人」と呼ぶようです。確かに「殺人」です。

ずっと不思議に思っていました。ちなみにアンチマーケティングと言うのは「有名な個人や団体が提供する商品に対して「詐欺」や「悪質」のレッテルをはって下げて、そこで自分の権威を上げて自分の商品を売る手法」を言います。

ただ、SNSで誹謗中傷する人やインターネット上でアンチマーケティングする人も結局「顔」を見せないのです。ただし、サーバー会社かプロバイダーかGoogleは「誰か」は確認出来るはずです。

ただプライバシーと言う見解で「結局顔を見せない人から言われっぱなしの状態」になり、された方も「反論」すら出来ないのでエスカレートして行きます。

今の段階ではインターネットを利用する人のモラルに頼るしかありません。

法整備がおいついていないので大した罪にはならない、基本的に訴えを起こさないと対処方法はありません。そして対処も出来ず追い詰められ自殺やネット上からいなくなる事になっています。

例え絶えたとして精神的な苦痛は残るはずです。

そんな中、「有名」になりたくない。そんな若い層も確実に増えています。

僕はこれらの事について「犯罪」だと思っています。

人間はネガティヴにフォーカスする生き物です。

これらの事が起きるのは人間はネガティヴにフォーカスするからです。ヤフーニュースや雑誌もネガティヴな記事の方がアクセスや購買数も上がるはずです。

つまり、ネガティヴをやった方が「目立つ」訳です。それも「有名人がネガティヴ」は更に「目立つ」訳です。少なくてもSNSやインターネットが普及していない時代は当然このような事はなかった訳です。ただし、週刊誌が書く有名人のスキャンダルネタは非常に売れたはずです。

ではなぜ人間はネガティヴにフォーカスするのか?

「自分より不幸な人がいると安心するから」
「自分より幸福な人がいると不安になるから」

これは言葉は違いますが同じ「感情」なのです。それだけ人間は人と比較して生きているのです。ただし人間は価値観も状態も経験も知識も当たり前に違いますので一生「他人と比較」して生きて行かないと行けない訳です。

逆に「私は人とは違う人生をおくりたい」と言う人もいるかも知れませんがそんな人ももう既に「比較」している訳です。結果必ずこんな人は将来「孤独」になります。

ただ、こんな事を言っている人でも人生の中では「あの人みたいになりたい」と思う事もある訳です。つまり、他人と同じでいたいのです。人間にはこんな性質もあります。

人間は同じものを良しとする

人間であれば「共通点」を持っている人を好みます。つまりネガティヴが大好物な人間やネガティヴを餌に生きている人間は一定多数いる訳です。

「THE ネガティヴグループ」

子供のいじめで自殺する人も絶えません。親が子供を殺したりしています。パワハラで自殺する人も絶えません。これはネガティヴにフォーカスしてネガティヴに脳が支配され、それによって「私が正しい」と正当化しないと生きて行けない状態になっているのです。

つまり本人は「悪い事」をしている感情はありません。だって「俺が思ったら書いただけ、言っただけ」言論の自由でしょって思って生きているからです。

「正義感」、コミュニケーションの言葉で言えば「重要感」にあたります。

これが異常か異常ではないかは自身で判断して下さい。そして「加害者」、「被害者」の周りがサポートするべきです。「あいつのツイッター炎上してる」ではすみません。

ただし、もう一度言っておきます。

「人間がネガティヴにフォーカスして脳がネガティヴでいっぱいになると行動もネガティヴになります。そしてそのネガティヴな脳に支配されて生きて行く事になります。」

この人の人生は「死ぬより悲惨な人生」です。それはSNS等で誹謗中傷する人間やアンチマーケティングしている人間は気がついています。

だからツイッターなどで本人が自殺すると誹謗中傷していた人はアカウント消しますよね。でもまたやります。だって脳がネガティヴに汚染されていますから。

「結果ネガティヴな人生」

出来れば「頭の中をポジティヴだらけにする」と勝手に人生は楽しくなります。

「THE ポジティヴグループ」

だって人生面白くならないですよね? 脳がポジティヴにならないと面白くないですよね?

世界中の人が「THE ポジティヴグループ」に心の入会をしてくれたら楽しい世界になるのに!

コミュニケーションの世界で「GOOD & NEW」と言うワークがあります。コーチング技法と言えるかも知れません。

GOOD&NEWとは例えば倦怠期の夫婦がいます。

その時に無理やりで良いのでこんな決め事をします。「朝食を食べる時に24時間以内にあった良い事をお互いにシャアしよう」最初は進みませんが繰り返して行くと「良い事(ポジティヴ)」にフォーカスする習慣がつきます。やがてお互いの良い所にフォーカスするようになり、仲良くなる。

これは物凄い効果があります。なぜかお互いの「笑顔」が増えます。

人間の脳がポジティヴでいっぱいになると人生は少なくても「笑顔」になります。

人間は評価が大好きな生き物です。

人間は「評価」が大好きです。これは「重要感」です。僕もコミュニティを主宰しているので若い会員が偉そうに評価している姿をみて「お前も偉くなったなぁ」なんて言っています。

僕は前職で人事教育部の責任者をしていました。非常にプレッシャーのかかる所で社員の「評価」をしていました。そんな事もあって僕は「評価する事」に怖さを持っています。

「評価する事によってその社員とその社員の家族の人生が決まる」からです。

その評価がいい加減なのに社員の立場が悪くなったり、その評価を使って育成に使えなかったりする時はやはり責任を感じますしプレッシャーでした。

ただし、一般の社会で使われている評価はその人の価値観で「良い」「悪い」でいろいろなモノ、人を評価しています。ただこれらの評価は時には相手に対して重大な痛みになる可能性も秘めています。僕はSNS等で誹謗中傷する人やアンチマーケティングする人をみて「根性あるな」って思っています。

だってやり返しませんか?

もし被害にあったのが自分の子供だったら探しますよ。親は「加害者」を、もし被害にあったのが自分の彼女だったら探しますよ。彼氏は「加害者」を

「誹謗中傷やアンチマーケティングってそんな簡単な責任ではない」

普通に思う訳です。僕は「法的」でなく「人間として過失を犯したら責任はとるべき」だと思っています。分からなけばお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんに聞いてみて下さい。

「だって人が嫌がる事をするのは良いはずがありません」

って答えてくれるはずです。

世界ナンバーワンコーチのアンソニーロビンズが言っています。

『相手の世界に理解と敬意』

つまり相手の世界の価値観を受け入れてから対話しましょうと言う事です。こんな事が全人類学べて実行出来たら「争い」も「誹謗中傷」も「戦争」も起きない世界がやがて来るはずです。

SNSの誹謗中傷で自殺した韓国の元KARAのク・ハラさんはこんなコメントを残しています。

「皆さんの表現は自由だ。でも悪質なコメントを書き込む前に、私がどんな人間なのか考えてみることはできないでしょうか」

僕は前職の社長にこんな事を言われました。

もし、小野が他人を評価するなら①「相手をしっかり掌握」して②「相手より多くの知識」があって③「相手より多くの経験」があって初めてその人間を評価しても良いと認められる。そうでない評価者の話は誰も聞けない。

分かりやすく言えば「社長より仕事出来ないのに部下が社長を評価する」こんなケース結構あります。でもこれによって退職したり、社長から嫌われたりする可能性もある訳です。

(社長のネガティヴにフォーカスしたから)

ただし、もしかしたらこんな事をして「評価」しなければ凄いポストについたり社長から宝物のような話をしてもらったりしたかも知れません。

僕はそれ以来、相手のネガティヴに対してフォーカスして評価しないように生きています。

そして社長にも仕事を出来るようにしてもらったり、宝物のような話もしてもらいました。

「僕は明らかに社長より下なので社長を評価しても損をするだけだよ」と言う事です。

少なくても相手の事が分からないのに軽率にネガティヴを評価して中傷誹謗、アンチマーケティングするなら飲酒運転のように罰を法的に厳しくして欲しいと思います。

自分の事を分からないのに評価されたら人間は必ず憤慨するかうつ状態になる。

少なくても僕は「評価」する時は相手の「ネガ(ネガティヴ)」は評価しない。する時はそれによって相手が圧倒的な損失を得る可能性がある時は「伝えます」。それ以外は「ポジ(ポジティヴ)」を評価します。

つまり、「褒める」ようにしています。

もし、これをやってあなたが嫌われるなら嫌う人と繋がっている意味はないと思います。逆にあなたがこれをやって好かれるならそんな人と繋がるべき。それだけであなたは楽しく時を過ごせます。

ウェルビーイング(well being)な生き方をする

僕の記事でも書いていますがここで繰り返します。

まずはウェルビーイングについてお話しします。

この言葉知っている人も意外と多いと思います。日本語にするよりもこのまま「ウェルビーイング」って言った方が良いかも知れません。

Happinessが「幸福」と訳すならWell beingは「幸福が継続された状態」こんな意味で捉えるのが一番近いかも知れません。

特にソーシャルメディア中心に”誹謗中傷”、”暴力”、”偏見”、”依存”など利便性や快適性も確かにあるけど本当にWell beingなの?と言う考えの人も多くいる訳です。

このWell beingの考えは勿論社会にも通用するものです。

例えば「お金」「財産」「地位」を手にすると幸福感はあります。頑張って年収を上げれば嬉しいですし、案件が当たってお金が入れば確かに嬉しいです。ただし、すぐに他の人と比較してまたお金の欲求に走る。つまりこれらを求めてもWell beingの状態にはならない事は分かります。

もし、これを求めるなら「関係性」「価値観」「成長と貢献」によって生まれる継続的な幸福。

◉ Can do challege やってみよう
◉ Thanks 感謝
◉ Have a dream 夢を持って
◉ Like you あなたらしく

こんなワードが出てくるでしょうか? こんな事、案件とは関係ないじゃんと言う方もいるかも知れませんが大いに関係があります。

実は僕は一気にお金持ちになった人を沢山見てきましたが一言で言うと「不幸」です。お金が入ったら幸せになれると思っている人が多いですが僕は不幸だと思います。

なので、もしあなたが案件をやって成功したら、そのお金は「手段」として利用して下さい。そしてウェルビーイングなライフスタイルおくって下さい。

引用:kazublog

ではウェルビーイングな生き方をしている人ってSNSで誹謗中傷しますか?

ウェルビーイングな生き方をしている人って脳はネガティヴだと思いますか?

ウェルビーイングな生き方の人って未来が明るいと思いませんか?

あなたはウェルビーイングなライフスタイルで生きたいと思いませんか?

結局ウェルビーイングな生き方が出来ない人は「不幸」と言う事です。なぜ「不幸」かと言えば最終的には孤独になるからです。

ナガティヴな脳 ▶︎ 自分だけ良ければ良い ▶︎ 周りから人がいなくなる ▶︎ 孤独

本コンテンツのまとめ

人を叩いて自分を上げて正当化して周りにアピールする。

僕はこれをマネジメントを教える場では「低級マネジメント」と呼んでいます。世の中こんなのばっかです。ただし、こんな人達の結末も複数みてきました。

イメージを伝えるのが難しいですが

「誰も羨ましいと思わない低級な人生の質」です。

人を叩いてストレス発散したり、叩いて自分が上がっているように見せていますが、、、

実質、何も上がっていません。

結果、行為は「私は人をディスる人です。私より有名な人をディスる人生です。」

周りにいたら教えて上げて欲しいですね。

厚生労働省の動き

SNS相談事業 詳しくはコチラ

厚生労働省では平成30年3月から、自殺防止を目的としたSNSを活用した相談事業を開始しました。以下リンク先に相談窓口の一覧を掲載しています。

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